20日。
3時に国見SAで休憩を取った後の記憶はおぼろげ。
いつのまにか東北道をあとにし、おそらく・・・三陸道を走っていたと思う。

南三陸町まであとわずか。というところの道の駅で、朝食と着替えをする
準備を含む休憩時間になった。
吐く息が白かった。

道すがら、そこここに何があったとか、この7ヶ月間でどうやってここまできたのか、今のこの町を 添乗員は重くなり過ぎないように淡々と説明してくれた。

やがて南三陸町災害ボランティアセンターに到着したのは、受付が始まる少し前で
添乗員は手際良く今日の段取りを説明してくれた。
この添乗員、ただの添乗員ではない。一緒にボランティアにも参加するのだ。

今日は、午前、午後ともに 漁港で土嚢作りをする。という通達だった。
添乗員は苦笑いを浮かべていた。どうやらキツめの作業らしい。
なにしろ土嚢は、ひとつ50kgほどあるという。

どうにも想像がつかないまま、乗ってきたバスで漁港へ移動することになった。
先導する軽トラックには、3月の終わりから活動しているというベテランボランティアの、後に「師匠」と呼ばせていただいた 赤い作業着のおっちゃんがいた。


土嚢作りの作業は、添乗員の苦笑いを忘れるほど やりがいのあるものだった。
土嚢の中身は砂利だった。基本3人組みになり、ふたりが砂利を入れ
ひとりは巾着状の袋を持って支えた。

砂利は、玉砂利が適しているのだそうだが、量が足りず 砕石も使っている。
砕石の場合、埃が多く舞うのでマスクは必需品だ。
適度な量が入ったところで、巾着の口をしぼる。ひとつ結んでさらにもう一回。
最後に紐の先を結んで、フォークリフトのフォークの先っちょにひっかけて運ぶ。
港のところどころに こうした土嚢が積まれていった。


師匠はスコップの差し方から、砂利のすくい方、土嚢袋の受け入れ角度、ひもの縛り方、きつく縛るコツなど、事細かに かつ とてもわかりやすく指導してくれた。
日々、ワタシのような初心者のボランティアも訪れる中で、
気の利いたジョークを交えながら、それはそれは元気いっぱいだった。

休憩も充分に取ってくれるので、体力に自信がなかったワタシでも全く問題なかった。

そして、明け方の白い息はなんだったのか?!と思うほど日射しも強く
七分袖から出ていた腕は、日に焼けてしまっていた。(後で気づいた。笑)

昼の休憩では、水揚げされたばかりの 鮭やあなご、鰈などを
漁師さんたちの邪魔にならないように見て回った。
水揚げする作業員の中にもどうやらボランティアの人がまじっているようだった。


午後になり、早くも身体が悲鳴をあげた。背中も痛いし、手に力が入らなくなっていたが、師匠の声は俄然大きく 元気いっぱいだった。
屋内の作業もあると勧められたものの、翌日には帰らなければならないワタシは、
体力の温存なんて考えなくても良かったので、当然 そのまま続行することにした。


やがて、まだまだイケると思っていたところへ、終了の号令がかかった。
出来あがった土嚢は、養殖のために使われる。
南三陸の わかめ、ホタテ、牡蠣・・・。
漁師さんは言ってた。いつかまたみなさんに南三陸の魚介を届けるためにがんばります。と。
たった1日の手伝いでエラそうなことは言えないけど、がんばるって言ってくれたのが嬉しかった。
ありがとうって言ってくれて、ワタシもありがとうって思った。


最後に師匠も交えて集合写真を撮った。
作業開始前の説明で、たくさんの人が亡くなってしまったこの場所で
壊れた建物や瓦礫の山など まるで観光気分で写真を撮って行くモラルのかけらもない人がいる。という話を聞いていたので、この集合写真はいいのだろうか?
と、思ってしまった。

でも、みんながひとつの作業を協力し合って行うことに、絆と達成感を感じずにはいられなかったので、この師匠を交えた集合写真はいい思い出になりそうだとも思った。


テント暮らしの長期ボランティアさんたちは、これからつらい季節になるんだろうなぁ。

尾畠さん、どうかお身体に気をつけて。
ぜひボランティアの輪をどんどん広げてください!
 
 
 
 

コメント

nophoto
pax5
2011年10月25日21:04

けろさんそんなところ行ってたんだ!
偉いなー。
よし、けろさんもうそこに住んでずっとボランティアで。
運動不足も解消されるよ( ̄ー ̄)ニヤリ

けろ
2011年10月28日0:18

あはは。たった1日じゃ、褒められたもんじゃないよ。笑
それにしても、筋肉痛はハンパなかった!

きっと、毎日やったらマッチョになれるし、町もキレイになるし、
町のみなさんもきっと元気になってくれる!
一石三鳥!?だね。^ー^*