ママさんと呼んでいた伯母のはなし
2018年9月13日 in my mindワタシは父の兄たちが両隣に住む、少しだけ特殊な環境で育った。
幼なじみは従兄弟たちだ。
特に年の近い従姉の両親は、本来ならば伯父伯母なのだが
「パパ」「ママ」と呼ばせていただいていた。
ちなみに自分の両親は「お父さん」「お母さん」である。
小学生の頃は帰宅と同時に近隣の原っぱで、日が暮れるまで泥んこになって、
独自のごっこ遊びを繰り広げていた。
思い起こせば当時の親たちの年頃・・・いや、それ以上になっている。
そんな従兄弟たちがまた集結した。
ママさんが闘病の末に逝ってしまった。10日未明のことだったそうだ。
初夏の頃、従姉にこの夏越えられないかも知れないと聞いて
8月の従姉の誕生日の折りに、久しぶりに隣の家にあがりこんだ。
ケーキはいろんな成分が使われていて気になったので、スイカを丸ごと持って行った。
リビングでたわいもない話をして、いつものようにじゃあね~と おいとました。
その後の話で、ママさんが「ワタシも食べれる!」と言って一番喜んでいたと聞き、
いつも計画倒れしてしまうワタシだけれど、行動を起こして本当に良かったと思った。
ただただ寂しい。
明るくて元気いっぱいのお洒落が大好きなママさん。
裏口から「いる~?」という大きな声と同時にガラッと扉が開いて、
手には漬け物が入ったビニル とか、おかずのお裾分け とか 果物だったり。
時にはテレビを見ているのかおおはしゃぎしている声が隣の家から漏れ聞こえるのも
ママさんの声。
思い出すと懐かしくて思わず顔がほころぶんだけど、なぜか涙が出ちゃう。
幼なじみは従兄弟たちだ。
特に年の近い従姉の両親は、本来ならば伯父伯母なのだが
「パパ」「ママ」と呼ばせていただいていた。
ちなみに自分の両親は「お父さん」「お母さん」である。
小学生の頃は帰宅と同時に近隣の原っぱで、日が暮れるまで泥んこになって、
独自のごっこ遊びを繰り広げていた。
思い起こせば当時の親たちの年頃・・・いや、それ以上になっている。
そんな従兄弟たちがまた集結した。
ママさんが闘病の末に逝ってしまった。10日未明のことだったそうだ。
初夏の頃、従姉にこの夏越えられないかも知れないと聞いて
8月の従姉の誕生日の折りに、久しぶりに隣の家にあがりこんだ。
ケーキはいろんな成分が使われていて気になったので、スイカを丸ごと持って行った。
リビングでたわいもない話をして、いつものようにじゃあね~と おいとました。
その後の話で、ママさんが「ワタシも食べれる!」と言って一番喜んでいたと聞き、
いつも計画倒れしてしまうワタシだけれど、行動を起こして本当に良かったと思った。
ただただ寂しい。
明るくて元気いっぱいのお洒落が大好きなママさん。
裏口から「いる~?」という大きな声と同時にガラッと扉が開いて、
手には漬け物が入ったビニル とか、おかずのお裾分け とか 果物だったり。
時にはテレビを見ているのかおおはしゃぎしている声が隣の家から漏れ聞こえるのも
ママさんの声。
思い出すと懐かしくて思わず顔がほころぶんだけど、なぜか涙が出ちゃう。
お義母さん
2018年7月9日 in my mind朝早く相方の母が亡くなった。
ワタシが嫁いで4年目頃にパーキンソンが発覚し
それから様々な症状を併発しながら、徐々に、ゆっくりと、悪くなっていった。
本当にゆっくりだったので、まだもう少し先のことだと思っていた。
もう数年前から名前を呼んでもらえることもなくなってしまったけど、
なんだか馴れ馴れしい人、くらいには思ってもらえてたかな。笑
最後にきちんと話せたのはいつのことだか、覚えていないけど、
お義母さんとお義母さんを支える献身的なお義父さんから、たくさんの大切なことを学ばせていただいた。
お見送りの前に、少し気持ちの整理をしたくて。
ワタシが嫁いで4年目頃にパーキンソンが発覚し
それから様々な症状を併発しながら、徐々に、ゆっくりと、悪くなっていった。
本当にゆっくりだったので、まだもう少し先のことだと思っていた。
もう数年前から名前を呼んでもらえることもなくなってしまったけど、
なんだか馴れ馴れしい人、くらいには思ってもらえてたかな。笑
最後にきちんと話せたのはいつのことだか、覚えていないけど、
お義母さんとお義母さんを支える献身的なお義父さんから、たくさんの大切なことを学ばせていただいた。
お見送りの前に、少し気持ちの整理をしたくて。
コーチング
2016年5月13日 in my mind今日はコーチングなる研修があった。
朝から気が重かったけど、徐々に引き込まれるパワフルな女性講師のおかげで
一日があっという間だった。
少し復習も兼ねて書いておくと、
コーチングとは、相手の持つ能力を引き出して自発的思考や行動をうながし、
相手の持つ目標の実現、自己成長や変革をサポートするコミュニケーション手法のこと
だそうだ。
引き出すには、当人(相手)にその能力がすでに備わっていなければ意味がない。
どうすれば目標を実現できるか「ききだす」
この「きく」についての説明が少し印象的だった。
「聴く」(listen)であり、「聞く」(hear)でもなく「訊く」(ask)でもないと。
座る位置によって雰囲気が異なることとか。(隣に座り、肩を並べて話すのが一番 本音をきき出し易いらしい)
また、伝えるときのコツについて、面白い事例とともに説明してくれた。
要約すると「今から大切なことを3つ言うね」と指折り伝え、それを復唱させるというものだ。
子育て中のお母さんも使える技と言っていいだろう。笑
そして、3つくらいでとどめておく方が良いそうだ。あんまり多いと覚えられない。笑
復唱させられるとなると、聞き手はそりゃぁ必死になってくれるよね。
何かを伝えるって、言ったことで伝わったと思ったら大間違いなのだ。
その相手が理解して初めて伝わったことになるのだからと。
なるほど・・・・。
その晩。
このコーチングとは直接は関係ないのだけれど。
不倫騒ぎで休業していたタレントのベッキーが、久しぶりにTV番組に出ていて、
中居くんから質問を受けるという神妙な雰囲気のコーナーを見ていた。
中居くんの質問の仕方、引き出し方というのか、が絶妙で 思わず聞きほれてしまった。
時折 諭すような言葉を混ぜながらも、そこには包み込むような優しさもあって。
どんなに厳しいことを言われようとも、そこに愛情があれば全然イヤじゃないなという
参考になったかも。
ともあれ、せっかくの研修参加(久しぶりの)
これからどんな風に活かせるか・・・
1日経過後の忘却度は74%だそうで、出来るだけ多く書き残しておくことにしよう。
朝から気が重かったけど、徐々に引き込まれるパワフルな女性講師のおかげで
一日があっという間だった。
少し復習も兼ねて書いておくと、
コーチングとは、相手の持つ能力を引き出して自発的思考や行動をうながし、
相手の持つ目標の実現、自己成長や変革をサポートするコミュニケーション手法のこと
だそうだ。
引き出すには、当人(相手)にその能力がすでに備わっていなければ意味がない。
どうすれば目標を実現できるか「ききだす」
この「きく」についての説明が少し印象的だった。
「聴く」(listen)であり、「聞く」(hear)でもなく「訊く」(ask)でもないと。
座る位置によって雰囲気が異なることとか。(隣に座り、肩を並べて話すのが一番 本音をきき出し易いらしい)
また、伝えるときのコツについて、面白い事例とともに説明してくれた。
要約すると「今から大切なことを3つ言うね」と指折り伝え、それを復唱させるというものだ。
子育て中のお母さんも使える技と言っていいだろう。笑
そして、3つくらいでとどめておく方が良いそうだ。あんまり多いと覚えられない。笑
復唱させられるとなると、聞き手はそりゃぁ必死になってくれるよね。
何かを伝えるって、言ったことで伝わったと思ったら大間違いなのだ。
その相手が理解して初めて伝わったことになるのだからと。
なるほど・・・・。
その晩。
このコーチングとは直接は関係ないのだけれど。
不倫騒ぎで休業していたタレントのベッキーが、久しぶりにTV番組に出ていて、
中居くんから質問を受けるという神妙な雰囲気のコーナーを見ていた。
中居くんの質問の仕方、引き出し方というのか、が絶妙で 思わず聞きほれてしまった。
時折 諭すような言葉を混ぜながらも、そこには包み込むような優しさもあって。
どんなに厳しいことを言われようとも、そこに愛情があれば全然イヤじゃないなという
参考になったかも。
ともあれ、せっかくの研修参加(久しぶりの)
これからどんな風に活かせるか・・・
1日経過後の忘却度は74%だそうで、出来るだけ多く書き残しておくことにしよう。
歓送迎会の後日談(memo)
2015年9月8日 in my mind コメント (2)立て続けに驚いた出来事があったので、備忘的に。
いや、たいした話でもないんだけど。
先週の歓送迎会、ワタシは幹事を買って出たわけなんだけど
この参加率たるや!
もちろん理由は歓送迎の対象の方の人望の厚さが9割あるだろう。
ところが、「定刻開始」までもが実現したことに驚いた。
おかしな話だけど、「18時スタートね」と言っても
業務の都合というか、誰かしら遅れてくるのが常態化していたため、
全員そろってスタートしたことが今までになかったのだ。
そして翌日の会費精算の際。
精算のお知らせしなくちゃなぁ~と
前夜から自宅でメールを作文して、言葉尻にツッコミが入らないよう
また、不平不満が起きませんようにと、何度も読み返したりしておいた。
(気ぃちっちゃ!笑)
朝一で通知できるようにしておいたにもかかわらず、
朝からお知らせしたらなんかいやらしいかしら・・・とまぁそこでもまた気を揉んで、 結局 昼くらいに通知。
(気ぃちっちゃ!笑笑)
すると、業務時間中にもかかわらず
ものの2~3時間で集金完了してしまったという・・・。
いつもなら、「お釣りが~・・・」とか「おろしてくる~・・・」とか
だらだらと日をまたぐほど、集金完了まで時間がかかっていたのに
(今回もそうなると思っていたのに)
皆、機敏に反応してくれた上に、ノークレーム!
まぁ、文句を言う人っていうのは大概同じ人たちでね、
「贈り物は既に手配しております」と言えば、
「手配した贈り物とは何ですか?」と。
(皆の代わりに時間を割いて準備をしてくれた御礼が先だろう?とワタシは思う。)
「本人からリクエストいただいた○○です」と答えると
マナー講座などで書かれているようなことを挙げて「それはアリなのでしょうか?」と
申し立てをしてくる。など。
(本人が欲しいって言ってるものがベストでしょう??とワタシは思う。)
加えて、会費が高かっただの店員の手際に至るまで、まぁー言いたい放題。
・・・・ってことがなかったんだよね~。
ワタシの耳に入らなかっただけかもしれないけど!笑
いや、たいした話でもないんだけど。
先週の歓送迎会、ワタシは幹事を買って出たわけなんだけど
この参加率たるや!
もちろん理由は歓送迎の対象の方の人望の厚さが9割あるだろう。
ところが、「定刻開始」までもが実現したことに驚いた。
おかしな話だけど、「18時スタートね」と言っても
業務の都合というか、誰かしら遅れてくるのが常態化していたため、
全員そろってスタートしたことが今までになかったのだ。
そして翌日の会費精算の際。
精算のお知らせしなくちゃなぁ~と
前夜から自宅でメールを作文して、言葉尻にツッコミが入らないよう
また、不平不満が起きませんようにと、何度も読み返したりしておいた。
(気ぃちっちゃ!笑)
朝一で通知できるようにしておいたにもかかわらず、
朝からお知らせしたらなんかいやらしいかしら・・・とまぁそこでもまた気を揉んで、 結局 昼くらいに通知。
(気ぃちっちゃ!笑笑)
すると、業務時間中にもかかわらず
ものの2~3時間で集金完了してしまったという・・・。
いつもなら、「お釣りが~・・・」とか「おろしてくる~・・・」とか
だらだらと日をまたぐほど、集金完了まで時間がかかっていたのに
(今回もそうなると思っていたのに)
皆、機敏に反応してくれた上に、ノークレーム!
まぁ、文句を言う人っていうのは大概同じ人たちでね、
「贈り物は既に手配しております」と言えば、
「手配した贈り物とは何ですか?」と。
(皆の代わりに時間を割いて準備をしてくれた御礼が先だろう?とワタシは思う。)
「本人からリクエストいただいた○○です」と答えると
マナー講座などで書かれているようなことを挙げて「それはアリなのでしょうか?」と
申し立てをしてくる。など。
(本人が欲しいって言ってるものがベストでしょう??とワタシは思う。)
加えて、会費が高かっただの店員の手際に至るまで、まぁー言いたい放題。
・・・・ってことがなかったんだよね~。
ワタシの耳に入らなかっただけかもしれないけど!笑
7つの習慣-成功には原則があった!
2015年6月3日 in my mind
実はこれ、2006年にも記事にしています。笑
10年経とうというのにすっかりその時のことを忘れています。
自分自身に「メンボクナイ」と思うのであります。
今日は研修に参加しました。
まるっきり同じ研修ではないのだけれど、「ビジョナリー・ウーマン」なるタイトルの研修で、
文字通り女性ばかりが集まり、「7つの習慣」から3つ4つの「習慣」を紐解いて
「ワーク」と呼ばれる短め(1分~3分くらい)の単位で、少人数のグループディスカッションを行いながら、ものの見方や考え方を変える方法を学ぶというもの。
うすら覚えている話もあれば、新鮮な思いで取り組めた内容もあったりと
幾度となく研修参加要請を断り、先送りにしてきたことを少しだけ悔みました。
正月からGWにかけての忙殺の日々、この考え方を少しでも思い出し、取り込めていたら多少はスマートにこなせただろうか。と。
まぁ、でも、ホントに研修どころじゃなかったからなぁ。
だからこそ違う空気を得る必要があったのかもしれないけれど。
タイトルこそ「ウーマン」なれど、「パーソン」で充分成り立つ内容でした。
何かと「女性が」「女性が」と世間が沸き立っておりますが、より豊かな人生を過ごすためのカギ、成功の原則を学ぶのに 男女格差なんてものは関係ないわけです。
実際、講師の人もそこは熱く説明をしていました。
タイトルから想像していたのは・・・・・・・・
女性も管理職に就ける!
子育て世代への補償を!
ワーキングママ?!
そんな話、ワタシは興味がなかったので
7つの習慣のことを思い出せて良かったと思いました。
さて、備忘録。のつもりだったんだけど・・・長くなったので今日はここまでにします。
資料も職場に置いてきてしまったし。アシカラズ。
10年経とうというのにすっかりその時のことを忘れています。
自分自身に「メンボクナイ」と思うのであります。
今日は研修に参加しました。
まるっきり同じ研修ではないのだけれど、「ビジョナリー・ウーマン」なるタイトルの研修で、
文字通り女性ばかりが集まり、「7つの習慣」から3つ4つの「習慣」を紐解いて
「ワーク」と呼ばれる短め(1分~3分くらい)の単位で、少人数のグループディスカッションを行いながら、ものの見方や考え方を変える方法を学ぶというもの。
うすら覚えている話もあれば、新鮮な思いで取り組めた内容もあったりと
幾度となく研修参加要請を断り、先送りにしてきたことを少しだけ悔みました。
正月からGWにかけての忙殺の日々、この考え方を少しでも思い出し、取り込めていたら多少はスマートにこなせただろうか。と。
まぁ、でも、ホントに研修どころじゃなかったからなぁ。
だからこそ違う空気を得る必要があったのかもしれないけれど。
タイトルこそ「ウーマン」なれど、「パーソン」で充分成り立つ内容でした。
何かと「女性が」「女性が」と世間が沸き立っておりますが、より豊かな人生を過ごすためのカギ、成功の原則を学ぶのに 男女格差なんてものは関係ないわけです。
実際、講師の人もそこは熱く説明をしていました。
タイトルから想像していたのは・・・・・・・・
女性も管理職に就ける!
子育て世代への補償を!
ワーキングママ?!
そんな話、ワタシは興味がなかったので
7つの習慣のことを思い出せて良かったと思いました。
さて、備忘録。のつもりだったんだけど・・・長くなったので今日はここまでにします。
資料も職場に置いてきてしまったし。アシカラズ。
ピンクの肉球
2015年3月4日 in my mind
まっしろで、
足の裏にはそれはそれは可愛らしい
ピンク色の肉球が。
月曜日、会いに行った時にちゃんと見ておけば良かったなぁ。
御歳20歳近かったと思われる 白猫のはなちゃん。
あなたが我が家に来て、はじめて喉を鳴らしてくれた時のこと
今でも覚えてるよ。
裏庭で保護した後、家の中を駆け巡り 納戸の奥に逃げ込んだあなたは、
フーフー怒って全然出てこなくて、
ぬいぐるみでごまかしながら抱き上げたら 急に甘えてきて、
ただ怖くて強がっていただけだったんだって
驚いたけど、すごく嬉しかった。
虹の橋の向こう側、着いたかな。
にゃんた君には会えましたか?
長生きしてくれてありがとう。
出来ればもうちょっと一緒にいたかったけど。
足の裏にはそれはそれは可愛らしい
ピンク色の肉球が。
月曜日、会いに行った時にちゃんと見ておけば良かったなぁ。
御歳20歳近かったと思われる 白猫のはなちゃん。
あなたが我が家に来て、はじめて喉を鳴らしてくれた時のこと
今でも覚えてるよ。
裏庭で保護した後、家の中を駆け巡り 納戸の奥に逃げ込んだあなたは、
フーフー怒って全然出てこなくて、
ぬいぐるみでごまかしながら抱き上げたら 急に甘えてきて、
ただ怖くて強がっていただけだったんだって
驚いたけど、すごく嬉しかった。
虹の橋の向こう側、着いたかな。
にゃんた君には会えましたか?
長生きしてくれてありがとう。
出来ればもうちょっと一緒にいたかったけど。
しんでくれた
2015年2月14日 in my mind
衝撃的なタイトルに驚いたけど、
改めて考えると
つまりそういうことになるんだなぁ、と。
改めて考えると
つまりそういうことになるんだなぁ、と。
「いただきます」が死語になる? - 新刊JPニュース
http://www.sinkan.jp/news/index_5461.html @sinkanjpnewsより
追われる日々
2015年1月26日 in my mind毎日が過ぎるのが何故にこんなに早いのか。
楽しいことは早く感じると言うけれど、
もがき苦しむ日々も早く感じるとは、どれだけ死に急いでいるのだろう。笑
「丁寧に生きる」は昨年の目標だったけど、
これ意識しておかないと、あっという間におばあちゃんになってしまいそうだわ。
楽しいことは早く感じると言うけれど、
もがき苦しむ日々も早く感じるとは、どれだけ死に急いでいるのだろう。笑
「丁寧に生きる」は昨年の目標だったけど、
これ意識しておかないと、あっという間におばあちゃんになってしまいそうだわ。
父の職場復帰に思う
2014年5月30日 in my mind父が職場復帰を切望していることは、母もワタシたち娘もわかっている。
でも母は、娘たちからも諦めるよう口添えしてくれと言う。
そのことを考えるだけで、いろんな気持ちがぶつかり合って涙が出てくる。
なんでだろう。
悲しいのか、悔しいのか。
感謝の気持ちも混じってるような。
でも母は、娘たちからも諦めるよう口添えしてくれと言う。
そのことを考えるだけで、いろんな気持ちがぶつかり合って涙が出てくる。
なんでだろう。
悲しいのか、悔しいのか。
感謝の気持ちも混じってるような。
2014年
2014年1月1日 in my mind明けました。
いろいろ書きたいことはあったけども、年を越してしまいました。とほほ。
ひとまずは・・・・
良い一年になりますように。
去年より、少しはましなワタシになりますように。
丁寧に生きる。それが今年の目標。
いろいろ書きたいことはあったけども、年を越してしまいました。とほほ。
ひとまずは・・・・
良い一年になりますように。
去年より、少しはましなワタシになりますように。
丁寧に生きる。それが今年の目標。
2020年
2013年9月9日 in my mind週末のオリンピック開催地決定の朗報に、全国が喜びに包まれた。
2020年、ワタシはいくつになってるだろう。
(ま、単純に7歳増しなわけだけども。笑)
それと、どんな暮らしをしてるだろう。
日本は世界中から訪れる人々をおもてなしする準備に入る。
国家レベルで。笑
復興が遅れなければいいのだけれど・・・・・・。
あるいは、相乗効果。とか、一石二鳥。とか
良い方向に事が進めばいいな。
原発問題もまだまだあると思う。
色んな国で「がんばれ日本!」と、多くの応援してくれる人がいる中で、
敬遠している人がいるのも事実。
アスリートの中には、棄権する人もいるかもしれない・・・・・・。
そんなこと、ワタシがいちいち気にする事ではないのだけれど
両者ひっくるめて、「日本、がんばってるやん♪」って感じてもらえるオリンピックになりますように。
追記 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
なんと。
滝クリが「おもてなし」のスピーチをしたのを後から知ったワタシ。
同じキーワードが思いついたのでちょっとびっくりした。笑
やっぱり日本と言えば、「相手を思いやることの出来る人種」なのですよ。
日本人で良かった。
そういうところがダメなんだ。という意見も見たことがあるけど
ワタシ自身は、人を出し抜いたりするくらいなら、バカだアホだと言われるお人好しでいい。笑
他の人は「東京オリンピック開催」と聞いて、まず何を想像したかなぁ?
経済効果? 金メダルの数??
2020年、ワタシはいくつになってるだろう。
(ま、単純に7歳増しなわけだけども。笑)
それと、どんな暮らしをしてるだろう。
日本は世界中から訪れる人々をおもてなしする準備に入る。
国家レベルで。笑
復興が遅れなければいいのだけれど・・・・・・。
あるいは、相乗効果。とか、一石二鳥。とか
良い方向に事が進めばいいな。
原発問題もまだまだあると思う。
色んな国で「がんばれ日本!」と、多くの応援してくれる人がいる中で、
敬遠している人がいるのも事実。
アスリートの中には、棄権する人もいるかもしれない・・・・・・。
そんなこと、ワタシがいちいち気にする事ではないのだけれど
両者ひっくるめて、「日本、がんばってるやん♪」って感じてもらえるオリンピックになりますように。
追記 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
なんと。
滝クリが「おもてなし」のスピーチをしたのを後から知ったワタシ。
同じキーワードが思いついたのでちょっとびっくりした。笑
やっぱり日本と言えば、「相手を思いやることの出来る人種」なのですよ。
日本人で良かった。
そういうところがダメなんだ。という意見も見たことがあるけど
ワタシ自身は、人を出し抜いたりするくらいなら、バカだアホだと言われるお人好しでいい。笑
他の人は「東京オリンピック開催」と聞いて、まず何を想像したかなぁ?
経済効果? 金メダルの数??
思いつきで書く
2013年7月25日 in my mind コメント (2)ところで、この日記・・・・・日記というより月記。状態・・・・・
毎日パソコンには向かっているんだけどねぇ。
こうして記事する時は、もっぱら通勤電車の中。ということが多くなった。
電波がまちまちな区間もあり、記事を書くだけなら
オフラインだって問題なし。
混みすぎてさえいなければ、スマホ片手に思いつきを記すことが出来るので
今更ながら有効的な過ごし方のひとつとも思う。
ところで、自身の出来事を年表のように作ったコトがあるのは、以前ここにも書いたことがあるけど
その後も時々更新している。
見ると(そんなことも書いてあるのだ。笑)ここで「日記」を書き始めてもう10年を越えていることを改めて知る。
最近、記事数が少なくなってしまったことに
若干の反省の念。
そもそも「だるだる日記」なわけだし・・・・・と心の中で言い訳するヘタレなワタシ。
まぁ、そんな言い訳も含めて
Facebookとか、mixiとか、Twitterとかとかとか、やたらと繋がりを要するような類いと比べてシンプルなここは、何かと気軽に書きやすい。
そんな思いつきを、今日は書き残してみたり。
毎日パソコンには向かっているんだけどねぇ。
こうして記事する時は、もっぱら通勤電車の中。ということが多くなった。
電波がまちまちな区間もあり、記事を書くだけなら
オフラインだって問題なし。
混みすぎてさえいなければ、スマホ片手に思いつきを記すことが出来るので
今更ながら有効的な過ごし方のひとつとも思う。
ところで、自身の出来事を年表のように作ったコトがあるのは、以前ここにも書いたことがあるけど
その後も時々更新している。
見ると(そんなことも書いてあるのだ。笑)ここで「日記」を書き始めてもう10年を越えていることを改めて知る。
最近、記事数が少なくなってしまったことに
若干の反省の念。
そもそも「だるだる日記」なわけだし・・・・・と心の中で言い訳するヘタレなワタシ。
まぁ、そんな言い訳も含めて
Facebookとか、mixiとか、Twitterとかとかとか、やたらと繋がりを要するような類いと比べてシンプルなここは、何かと気軽に書きやすい。
そんな思いつきを、今日は書き残してみたり。
南三陸町へ 【あっという間に帰路】
2013年1月13日 in my mind12月7日
冬期間ということもあって、終了時刻は早め。
帰りの新幹線に乗る前に、再びホテル観洋でお風呂をいただく日程でした。
ありがたい。
手作業でガレキを分別しながら拾い集める。
いずれそこには重機が入るのに、なぜあえて手作業をするのか。
手作業は必要なのか?
2日目の作業終了時に作業リーダーはそんな話もしてくれました。
それは稀に 行方不明の方の何か手掛かりが見つかるかもしれないのもそう。
一番の理由は、住んでいた方の心の整理にもつながること。
とても感謝してくださるのだそうです。
自分の住んでいた家が、生活が、こんな風になくなったことなんてないから、
想像もつかなかったけど
ガレキに埋もれた荒れた土地から、家の基礎が現れて間取りがぼぅっと見える。
住んでいたわけでもないワタシがそう思ったくらいだから、住んでいた人々は
そこに思い出も合わさって映って見えるに違いありません。
そんな話を思い出しながら、海に面したホテル観洋の大浴場で少しウルルンしていたワタシでした。
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
新幹線に乗るため、くりこま高原の駅を目指すバスの中でけたたましくアラームがなりました。
緊急地震速報 というやつです。
数台のケイタイが同時になったので、慌てて身体を起こしました。(←寝てたw)
まさかの地震?!ここで?!
ビビるワタシ。
みんなもちょっとうろたえていたけれど、ドライバーさんは走り続けていました。
地元バス会社&ドライバーさんだったので身を委ね、しばらくして他の乗用車同様 路肩に停まった時、バスが大きく横に揺れているのをかんじました。
そこそこ大きな揺れにも思ったのですが、しばらく停まったのち
何事もなかったようにバスは走りだしました。
でも、町の警報が「ウウウウウゥゥゥゥゥ~~~~~~~~」と鳴り響いているのが聞こえ、
だいぶ内陸まで来ているとはいえ、それは恐怖以外ありませんでした・・・・・。
無事にくりこま高原まで送り届けてくれたドライバーさんに別れを告げ、駅に入ると
東北新幹線は見事に運休になっておりました・・・・。
こんなところで帰宅困難者になるとは。とほほ。
ただ、この日の地震は津波注意報は出たものの大事に至らずに済んだのが幸いでした。
そしてワタシもJRの臨時電車に救われ、無事に深夜帰宅出来たことを申し添えます。
冬期間ということもあって、終了時刻は早め。
帰りの新幹線に乗る前に、再びホテル観洋でお風呂をいただく日程でした。
ありがたい。
手作業でガレキを分別しながら拾い集める。
いずれそこには重機が入るのに、なぜあえて手作業をするのか。
手作業は必要なのか?
2日目の作業終了時に作業リーダーはそんな話もしてくれました。
それは稀に 行方不明の方の何か手掛かりが見つかるかもしれないのもそう。
一番の理由は、住んでいた方の心の整理にもつながること。
とても感謝してくださるのだそうです。
自分の住んでいた家が、生活が、こんな風になくなったことなんてないから、
想像もつかなかったけど
ガレキに埋もれた荒れた土地から、家の基礎が現れて間取りがぼぅっと見える。
住んでいたわけでもないワタシがそう思ったくらいだから、住んでいた人々は
そこに思い出も合わさって映って見えるに違いありません。
そんな話を思い出しながら、海に面したホテル観洋の大浴場で少しウルルンしていたワタシでした。
- - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
新幹線に乗るため、くりこま高原の駅を目指すバスの中でけたたましくアラームがなりました。
緊急地震速報 というやつです。
数台のケイタイが同時になったので、慌てて身体を起こしました。(←寝てたw)
まさかの地震?!ここで?!
ビビるワタシ。
みんなもちょっとうろたえていたけれど、ドライバーさんは走り続けていました。
地元バス会社&ドライバーさんだったので身を委ね、しばらくして他の乗用車同様 路肩に停まった時、バスが大きく横に揺れているのをかんじました。
そこそこ大きな揺れにも思ったのですが、しばらく停まったのち
何事もなかったようにバスは走りだしました。
でも、町の警報が「ウウウウウゥゥゥゥゥ~~~~~~~~」と鳴り響いているのが聞こえ、
だいぶ内陸まで来ているとはいえ、それは恐怖以外ありませんでした・・・・・。
無事にくりこま高原まで送り届けてくれたドライバーさんに別れを告げ、駅に入ると
東北新幹線は見事に運休になっておりました・・・・。
こんなところで帰宅困難者になるとは。とほほ。
ただ、この日の地震は津波注意報は出たものの大事に至らずに済んだのが幸いでした。
そしてワタシもJRの臨時電車に救われ、無事に深夜帰宅出来たことを申し添えます。
南三陸町へ 【2日目もガレキ作業】
2013年1月13日 in my mind12月7日
2日目もガレキ作業が言い渡されました。
前夜、ホテル観洋の露天風呂でしっかり癒されており、エナジー満タン!
また、前日の作業後は南三陸町のボランティアセンターで、
地元の方のお話をうかがう機会も今回ありました。
一部資料として震災前の町のPR映像と、震災直後の画像です。と見せられたそれは、
なぜか直視できず下を向いたまま 顔をあげることすら出来ませんでした。
(挿入歌入りだったので心に響きすぎたのかもしれない。苦笑)
そんな思いも胸に、向かうは前日と同じ場所。
前日、あれだけの人数で作業したけれど、やっぱりやり切れていなかった様子。
でも、作業リーダーも同じ人が来てくださったので、やり方も変わらず
すんなり作業開始することが出来ました。
震災後 分別されないまま山積みになったいたガレキを、改めて分別しながら
撤去するという作業から始まり、徐々に隣の基礎枠へ移りながらの作業。
時折 雪・・・というかあられが降ったりする中、遠く港寄りの住宅地には
重機が入っている様子が見えました。
やがてこの場所にも重機が入るのだと思いました。
お昼ごはんは仕出し弁当。同行した会社の人が手配してくれたもの。
バスの中で黙々といただきました。
あられも降ったりしましたが、まだまだ思ったより寒くなくて助かりました。
(どんだけ寒い想像していたんだか。笑)
とは言え、一度身体を休めると 午後の作業開始時には、寒さゆえ動き始めはやや鈍りました。
黙々と、とにかく黙々と作業。
道路に面していた現場。ときどき行き交う車。運転する人が作業するワタシたちをチラと見て過ぎました。
やがて作業終了の声がかかり、作業リーダーがこう言っていました。
作業しているワタシたちを見て、地元の人たちも「頑張ろう」という気持ちになってくれるのだとか。
だいぶ時も経ち、稀に骨を拾うこともあるのだそうだが、大抵は動物の骨であることが多い、とも。
でも未だ行方不明の人々がいるのも事実。
2日目もガレキ作業が言い渡されました。
前夜、ホテル観洋の露天風呂でしっかり癒されており、エナジー満タン!
また、前日の作業後は南三陸町のボランティアセンターで、
地元の方のお話をうかがう機会も今回ありました。
一部資料として震災前の町のPR映像と、震災直後の画像です。と見せられたそれは、
なぜか直視できず下を向いたまま 顔をあげることすら出来ませんでした。
(挿入歌入りだったので心に響きすぎたのかもしれない。苦笑)
そんな思いも胸に、向かうは前日と同じ場所。
前日、あれだけの人数で作業したけれど、やっぱりやり切れていなかった様子。
でも、作業リーダーも同じ人が来てくださったので、やり方も変わらず
すんなり作業開始することが出来ました。
震災後 分別されないまま山積みになったいたガレキを、改めて分別しながら
撤去するという作業から始まり、徐々に隣の基礎枠へ移りながらの作業。
時折 雪・・・というかあられが降ったりする中、遠く港寄りの住宅地には
重機が入っている様子が見えました。
やがてこの場所にも重機が入るのだと思いました。
お昼ごはんは仕出し弁当。同行した会社の人が手配してくれたもの。
バスの中で黙々といただきました。
あられも降ったりしましたが、まだまだ思ったより寒くなくて助かりました。
(どんだけ寒い想像していたんだか。笑)
とは言え、一度身体を休めると 午後の作業開始時には、寒さゆえ動き始めはやや鈍りました。
黙々と、とにかく黙々と作業。
道路に面していた現場。ときどき行き交う車。運転する人が作業するワタシたちをチラと見て過ぎました。
やがて作業終了の声がかかり、作業リーダーがこう言っていました。
作業しているワタシたちを見て、地元の人たちも「頑張ろう」という気持ちになってくれるのだとか。
だいぶ時も経ち、稀に骨を拾うこともあるのだそうだが、大抵は動物の骨であることが多い、とも。
でも未だ行方不明の人々がいるのも事実。
南三陸町へ 【1日目、半日ガレキ作業】
2013年1月13日 in my mind12月6日のつづき
さんさん商店街で食べたキラキラ丼は、活動前のエネルギーとなりました。
さぁ!精一杯働くのだー!
とは言え午後からのスタートなので、正味2時間。
言い渡された作業はガレキの分別収集でした。
漁港近くの住宅地を襲った津波は、何もかも奪い去り、粉々になった残骸を
ありとあらゆるところへ運び去りました。
あらかたの物は震災後に撤去され、遠目には住宅のコンクリートの基礎が残るだけに見えます。
そのコンクリートの基礎も、その中に立ってみると
ここは玄関かな。・・・・廊下があって、ここは台所? きっとここはお風呂場だったんだろうな。
という感じに、ぼぅっとおうちが見えてくる気がしました。
ここには、確実に人々の「生活」があったのです。
作業方法の説明がありました。
燃えるもの(燃やせるもの)、(握りこぶし大よりも大きい)コンクリート・瓦、金属類、
危険物、陶器・ガラス、再生瓦礫、草木・木片・・・といった感じに分別しながら集めます。
使う道具類も寄付でまかなった物であり、作業前と作業後にきちんと数を数えていて、
ひとつも失くすことなく大切に使っている様子がうかがえました。
1年前に訪れた時もガレキ作業を半日行いましたが、明らかに違うのは、
1年前は表面を拾い集めて行けば良かった作業が、今回は少し掘らなくてはならなくなったこと。
ピッケルで軽く掘り起こすだけで、コンクリートのかけら(と言っても大きいものも出てくる)や、ビール瓶がそのまま出てきたりしました。
夏に茂っていたであろう枯れ草の根が、邪魔をしているところもありました。
未だなお手つかずの現場がまだまだあるといいます。
思ったよりも寒さはキツくなく、途中たっぷりと休憩もいただいたおかげか、
あっという間に2時間は過ぎました。
現場にはワタシたちの他に、ワタシたちの2倍くらいの人数で来ている企業ボランティアの団体が一緒に作業をしていました。
総勢60人は居たと思います。
これだけの人数で作業をしても、敷地2~3軒分が片付けられたかどうか・・・
途方に暮れる作業でもあります。
さんさん商店街で食べたキラキラ丼は、活動前のエネルギーとなりました。
さぁ!精一杯働くのだー!
とは言え午後からのスタートなので、正味2時間。
言い渡された作業はガレキの分別収集でした。
漁港近くの住宅地を襲った津波は、何もかも奪い去り、粉々になった残骸を
ありとあらゆるところへ運び去りました。
あらかたの物は震災後に撤去され、遠目には住宅のコンクリートの基礎が残るだけに見えます。
そのコンクリートの基礎も、その中に立ってみると
ここは玄関かな。・・・・廊下があって、ここは台所? きっとここはお風呂場だったんだろうな。
という感じに、ぼぅっとおうちが見えてくる気がしました。
ここには、確実に人々の「生活」があったのです。
作業方法の説明がありました。
燃えるもの(燃やせるもの)、(握りこぶし大よりも大きい)コンクリート・瓦、金属類、
危険物、陶器・ガラス、再生瓦礫、草木・木片・・・といった感じに分別しながら集めます。
使う道具類も寄付でまかなった物であり、作業前と作業後にきちんと数を数えていて、
ひとつも失くすことなく大切に使っている様子がうかがえました。
1年前に訪れた時もガレキ作業を半日行いましたが、明らかに違うのは、
1年前は表面を拾い集めて行けば良かった作業が、今回は少し掘らなくてはならなくなったこと。
ピッケルで軽く掘り起こすだけで、コンクリートのかけら(と言っても大きいものも出てくる)や、ビール瓶がそのまま出てきたりしました。
夏に茂っていたであろう枯れ草の根が、邪魔をしているところもありました。
未だなお手つかずの現場がまだまだあるといいます。
思ったよりも寒さはキツくなく、途中たっぷりと休憩もいただいたおかげか、
あっという間に2時間は過ぎました。
現場にはワタシたちの他に、ワタシたちの2倍くらいの人数で来ている企業ボランティアの団体が一緒に作業をしていました。
総勢60人は居たと思います。
これだけの人数で作業をしても、敷地2~3軒分が片付けられたかどうか・・・
途方に暮れる作業でもあります。
南三陸町へ 【1日目、ぷろろーぐ】
2013年1月13日 in my mind
12月に行ってまいりました。南三陸町。
思いっきりあとがきになりますが、残しておきたいと思います。
1年2か月ぶり、2回目。
(前回=http://kerodaru.diarynote.jp/201110232256138803/)
例え年1回ペースであろうとも、定期的に訪れることに意味があると信じて、
出来る範囲内で続けたいと思っています。
前回との違いは、
新幹線で行ったこと。
それに伴い、作業日程は 1日目が午後のみ。
2日目が終日となったこと。
前回同様なのは、
勤務先主催のボランティアツアー参加であること。
そして、宿泊先が 露天風呂からの眺めが特にすばらしい ホテル観洋であること。
【1日目】 - - - - - 12月6日
指定のはやてに乗車。という集合方法でした。
事前に切符の配布があり、各参加者は東京、上野、大宮から乗車。
くりこま高原で下車ののち、手配したバスで東へ。
途中、南三陸さんさん商店街という仮設で出来た商店街に立ち寄り、各自自由行動。
ランチタイムも含んでおり、めいめいに好きな店で好きなものをいただきました。
ワタシがいただいたのは、各店オリジナルの「キラキラ丼」なる海鮮丼。
店によって具材が異なります。
食事処は5店舗あり、その中から松原食堂に入りました。(牡蠣がついていたからです♪)
小粒ながらも、とーっても濃厚で甘みもありましたよ~。
し・・・、しまった。
これではただの旅行記になってしまう。
不安な書き出しになってしまったけれど、このまま書き続けます。笑
仮設とは言え この商店街の存在は、遠方から足を運ぶワタシたちのような人への、観光復活の足掛かりとなってくれるでしょう。
ただ、食事処や土産物屋のほかに電気屋さんや床屋さんお花屋さんもあって、
おそらく町のひとたちにとっても、ボランティアで長期滞在中のひとたちにも
便利な場所になるべくして設けられたであろう割には、
歩ける範囲内に居住地が見当たらなかったような気がしています。
(車移動が主流なのかな?!)
ちなみにキラキラ丼は各店¥1,800也。
正直 普段なら考えてしまうお値段ですが、これもボランティアなのだ~♪と、
おもいきり贅沢しました。
と思ったら、まんぷくのボリュームで あやうく負けそうになりました。笑
(もちろんワイルドに食べきったぜ~ぃ♪ ワタシにしては珍しく快挙!)
思いっきりあとがきになりますが、残しておきたいと思います。
1年2か月ぶり、2回目。
(前回=http://kerodaru.diarynote.jp/201110232256138803/)
例え年1回ペースであろうとも、定期的に訪れることに意味があると信じて、
出来る範囲内で続けたいと思っています。
前回との違いは、
新幹線で行ったこと。
それに伴い、作業日程は 1日目が午後のみ。
2日目が終日となったこと。
前回同様なのは、
勤務先主催のボランティアツアー参加であること。
そして、宿泊先が 露天風呂からの眺めが特にすばらしい ホテル観洋であること。
【1日目】 - - - - - 12月6日
指定のはやてに乗車。という集合方法でした。
事前に切符の配布があり、各参加者は東京、上野、大宮から乗車。
くりこま高原で下車ののち、手配したバスで東へ。
途中、南三陸さんさん商店街という仮設で出来た商店街に立ち寄り、各自自由行動。
ランチタイムも含んでおり、めいめいに好きな店で好きなものをいただきました。
ワタシがいただいたのは、各店オリジナルの「キラキラ丼」なる海鮮丼。
店によって具材が異なります。
食事処は5店舗あり、その中から松原食堂に入りました。(牡蠣がついていたからです♪)
小粒ながらも、とーっても濃厚で甘みもありましたよ~。
し・・・、しまった。
これではただの旅行記になってしまう。
不安な書き出しになってしまったけれど、このまま書き続けます。笑
仮設とは言え この商店街の存在は、遠方から足を運ぶワタシたちのような人への、観光復活の足掛かりとなってくれるでしょう。
ただ、食事処や土産物屋のほかに電気屋さんや床屋さんお花屋さんもあって、
おそらく町のひとたちにとっても、ボランティアで長期滞在中のひとたちにも
便利な場所になるべくして設けられたであろう割には、
歩ける範囲内に居住地が見当たらなかったような気がしています。
(車移動が主流なのかな?!)
ちなみにキラキラ丼は各店¥1,800也。
正直 普段なら考えてしまうお値段ですが、これもボランティアなのだ~♪と、
おもいきり贅沢しました。
と思ったら、まんぷくのボリュームで あやうく負けそうになりました。笑
(もちろんワイルドに食べきったぜ~ぃ♪ ワタシにしては珍しく快挙!)
再出発の誓い
2012年3月12日 in my mind昨日は書けなかった震災の話。
一年前のワタシは、いわゆる帰宅難民者だった。
同僚の車で送ってもらい、深夜とはいえどうにか帰宅できた。
リビングでうたた寝をしながら
足留めをくらって知らない街で夜を明かした相方の帰りを待っていた。
震災の全貌は夜明けとともに、徐々に明るみになっていった。
地震には慣れっこの日本人にも、この規模ともなると動揺と混乱を隠せなかった。
実際、東北沿岸には恐ろしい津波が襲いかかり、福島の原発では起きてはならないことが起きようとしていた。
テレビは尚も余震を知らせる字幕が流れ、各地の惨状を映し出していた。
帰宅難民も非日常なことではあったけれど、命も生活も脅かされることはなかった。
ワタシの3.11は、メディアが寸断された当日よりも、翌朝の方がはるかに記憶に残る愕然とした一日だった。
人は助け合うことができる。
ワタシはきっと誰かの助けになれると思う。
例えほんのわずかな力だとしても、それはただ
あの日のこととあの日の人々を忘れずにいるだけでもいいんだと思う。
人々が、街が、再出発をかけている。
一年という 今までで大きな節目の今、また心に誓う。
一年前のワタシは、いわゆる帰宅難民者だった。
同僚の車で送ってもらい、深夜とはいえどうにか帰宅できた。
リビングでうたた寝をしながら
足留めをくらって知らない街で夜を明かした相方の帰りを待っていた。
震災の全貌は夜明けとともに、徐々に明るみになっていった。
地震には慣れっこの日本人にも、この規模ともなると動揺と混乱を隠せなかった。
実際、東北沿岸には恐ろしい津波が襲いかかり、福島の原発では起きてはならないことが起きようとしていた。
テレビは尚も余震を知らせる字幕が流れ、各地の惨状を映し出していた。
帰宅難民も非日常なことではあったけれど、命も生活も脅かされることはなかった。
ワタシの3.11は、メディアが寸断された当日よりも、翌朝の方がはるかに記憶に残る愕然とした一日だった。
人は助け合うことができる。
ワタシはきっと誰かの助けになれると思う。
例えほんのわずかな力だとしても、それはただ
あの日のこととあの日の人々を忘れずにいるだけでもいいんだと思う。
人々が、街が、再出発をかけている。
一年という 今までで大きな節目の今、また心に誓う。
from ”all about Japan”
2012年2月15日 in my mind謝罪すべきシーンではきちんと謝罪することが 大事ですが、
必要以上に委縮するのは、相手の 間違ったコミュニケーションスタイルを肯定す ることになりかねません。
「委縮」を伝える非 言語コミュニケーション(例:目をそらす、下 をむく、慌てる)には
特に気をつけるようにしましょう。
- All About記事より(http://allabout.co.jp/gm/gc/385247/)
all about Japan というサイト。
"気づき"を与えてくれるので、時々ふらりと訪れるお気に入りのサイトのひとつ。
多方面に渡りいろんーなジャンルの記事がたくさんある。
まあ、目からウロコ。もあれば、当たり前の内容。であったりと、アタリハズレもあるんだけどね。
はて、サイトの宣伝で書き始めたんだっけ?!
いや、違う・・・・・。
「萎縮」だ。
それにピンと来て書き留めておきたくなったんだ。
つい顔色をうかがってしまうんだよね。
これはもはや治せない性格みたいなものかもしれない。
育った環境で出来上がったものだろうから。
少しおおげさだし、全員がそういうわけじゃないけど
兄弟の上のコってね「イイ子」じゃなきゃいけないから、
周りの評価を気にする。
だからお母さんの機嫌が悪いと、何かしちゃったんだろうか・・・?と
一生懸命思いだそうとする。
心当たりらしきを思い出しては、どう取り繕うか挙動不審になる。
上司が不機嫌そうにため息をついたりすると、手元で何が起きているのか
探ろうとする。
自分が関わった処理だった時には、気もそぞろになる。
どう取り繕うか挙動不審になる。
どちらも行動に制限がかかり、いわゆる萎縮状態。
堂々としていればいいのにね。笑
どういうわけか、ワタシは
どうにもこうにも気弱でそうなっちゃう時もあれば
まぁ、いいよ。しょうがないじゃん♪ な時もある。
長女気質とB型特有の楽天家が入り混じっているみたい。
必要以上に委縮するのは、相手の 間違ったコミュニケーションスタイルを肯定す ることになりかねません。
「委縮」を伝える非 言語コミュニケーション(例:目をそらす、下 をむく、慌てる)には
特に気をつけるようにしましょう。
- All About記事より(http://allabout.co.jp/gm/gc/385247/)
all about Japan というサイト。
"気づき"を与えてくれるので、時々ふらりと訪れるお気に入りのサイトのひとつ。
多方面に渡りいろんーなジャンルの記事がたくさんある。
まあ、目からウロコ。もあれば、当たり前の内容。であったりと、アタリハズレもあるんだけどね。
はて、サイトの宣伝で書き始めたんだっけ?!
いや、違う・・・・・。
「萎縮」だ。
それにピンと来て書き留めておきたくなったんだ。
つい顔色をうかがってしまうんだよね。
これはもはや治せない性格みたいなものかもしれない。
育った環境で出来上がったものだろうから。
少しおおげさだし、全員がそういうわけじゃないけど
兄弟の上のコってね「イイ子」じゃなきゃいけないから、
周りの評価を気にする。
だからお母さんの機嫌が悪いと、何かしちゃったんだろうか・・・?と
一生懸命思いだそうとする。
心当たりらしきを思い出しては、どう取り繕うか挙動不審になる。
上司が不機嫌そうにため息をついたりすると、手元で何が起きているのか
探ろうとする。
自分が関わった処理だった時には、気もそぞろになる。
どう取り繕うか挙動不審になる。
どちらも行動に制限がかかり、いわゆる萎縮状態。
堂々としていればいいのにね。笑
どういうわけか、ワタシは
どうにもこうにも気弱でそうなっちゃう時もあれば
まぁ、いいよ。しょうがないじゃん♪ な時もある。
長女気質とB型特有の楽天家が入り混じっているみたい。
新年早々ノックアウトなワタシ
2012年1月4日 in my mindある意味、独裁的な上司。
自分がそうさせてしまっているのかもしれないけれど。
だんだん似てきているような気がして、怖くなる。
何を考えているのかわからない後輩。
めんどくさい人~!と思われてるのかもしれないけれど。
ワタシだって楽したいよォ!
それにしても人間関係って難しい。いまさら・・・笑
生涯にわたってこの問題はつきまとうんだろうなァ。
会社で、学校で、ご近所づきあいで、
親戚で、あるいは家族でさえも・・・
なら、人と関わらなければ良いのか・・・なぁ? なぁ~んてね。
ただね、いちいち上司の顔色うかがいながらゴマスリして、媚びて、
時に甘えてみたりして、それも人間関係を潤滑にするためのコト!?!?
・・・って思っちゃうんだよね。
夜、たまたま、お笑い女芸人が動物園の飼育員に職業体験するという番組を見た。
先輩飼育員は真っ向真剣に彼女に仕事を託す。
最初のうちは 彼女は撮影カメラを意識したり、先輩飼育員の顔色をうかがったり、
ほかの飼育員たちの意見に揺らいだりしてしまう。
先輩飼育員はそんな彼女を一喝する。
そして、 意志をぶれないように、思った通りにやってごらん。
と、アドバイスする。
言うことはキビしいが、深い先輩だと思いながら見ていた。
うちの上司は、思った通りにやったらしっぺ返し食らうだろうなぁ・・・
とつぶやいたら、一緒に番組を見ていた相方もため息をついていた。笑
会社はいつ辞めてもイイと相方からは すでに許可をもらっている。
でも、辞めても何も解決にはならない。
一時的に自分が楽になるだけ。
次の仕事がすぐに見つかるとも限らないし。←←←これ、一番の問題だね。苦笑
また会社がイヤになってきた。
新年早々ノックアウト・・・。
自分がそうさせてしまっているのかもしれないけれど。
だんだん似てきているような気がして、怖くなる。
何を考えているのかわからない後輩。
めんどくさい人~!と思われてるのかもしれないけれど。
ワタシだって楽したいよォ!
それにしても人間関係って難しい。いまさら・・・笑
生涯にわたってこの問題はつきまとうんだろうなァ。
会社で、学校で、ご近所づきあいで、
親戚で、あるいは家族でさえも・・・
なら、人と関わらなければ良いのか・・・なぁ? なぁ~んてね。
ただね、いちいち上司の顔色うかがいながらゴマスリして、媚びて、
時に甘えてみたりして、それも人間関係を潤滑にするためのコト!?!?
・・・って思っちゃうんだよね。
夜、たまたま、お笑い女芸人が動物園の飼育員に職業体験するという番組を見た。
先輩飼育員は真っ向真剣に彼女に仕事を託す。
最初のうちは 彼女は撮影カメラを意識したり、先輩飼育員の顔色をうかがったり、
ほかの飼育員たちの意見に揺らいだりしてしまう。
先輩飼育員はそんな彼女を一喝する。
そして、 意志をぶれないように、思った通りにやってごらん。
と、アドバイスする。
言うことはキビしいが、深い先輩だと思いながら見ていた。
うちの上司は、思った通りにやったらしっぺ返し食らうだろうなぁ・・・
とつぶやいたら、一緒に番組を見ていた相方もため息をついていた。笑
会社はいつ辞めてもイイと相方からは すでに許可をもらっている。
でも、辞めても何も解決にはならない。
一時的に自分が楽になるだけ。
次の仕事がすぐに見つかるとも限らないし。←←←これ、一番の問題だね。苦笑
また会社がイヤになってきた。
新年早々ノックアウト・・・。
南三陸町での土嚢作り作業
2011年10月22日 in my mind コメント (2)20日。
3時に国見SAで休憩を取った後の記憶はおぼろげ。
いつのまにか東北道をあとにし、おそらく・・・三陸道を走っていたと思う。
南三陸町まであとわずか。というところの道の駅で、朝食と着替えをする
準備を含む休憩時間になった。
吐く息が白かった。
道すがら、そこここに何があったとか、この7ヶ月間でどうやってここまできたのか、今のこの町を 添乗員は重くなり過ぎないように淡々と説明してくれた。
やがて南三陸町災害ボランティアセンターに到着したのは、受付が始まる少し前で
添乗員は手際良く今日の段取りを説明してくれた。
この添乗員、ただの添乗員ではない。一緒にボランティアにも参加するのだ。
今日は、午前、午後ともに 漁港で土嚢作りをする。という通達だった。
添乗員は苦笑いを浮かべていた。どうやらキツめの作業らしい。
なにしろ土嚢は、ひとつ50kgほどあるという。
どうにも想像がつかないまま、乗ってきたバスで漁港へ移動することになった。
先導する軽トラックには、3月の終わりから活動しているというベテランボランティアの、後に「師匠」と呼ばせていただいた 赤い作業着のおっちゃんがいた。
土嚢作りの作業は、添乗員の苦笑いを忘れるほど やりがいのあるものだった。
土嚢の中身は砂利だった。基本3人組みになり、ふたりが砂利を入れ
ひとりは巾着状の袋を持って支えた。
砂利は、玉砂利が適しているのだそうだが、量が足りず 砕石も使っている。
砕石の場合、埃が多く舞うのでマスクは必需品だ。
適度な量が入ったところで、巾着の口をしぼる。ひとつ結んでさらにもう一回。
最後に紐の先を結んで、フォークリフトのフォークの先っちょにひっかけて運ぶ。
港のところどころに こうした土嚢が積まれていった。
師匠はスコップの差し方から、砂利のすくい方、土嚢袋の受け入れ角度、ひもの縛り方、きつく縛るコツなど、事細かに かつ とてもわかりやすく指導してくれた。
日々、ワタシのような初心者のボランティアも訪れる中で、
気の利いたジョークを交えながら、それはそれは元気いっぱいだった。
休憩も充分に取ってくれるので、体力に自信がなかったワタシでも全く問題なかった。
そして、明け方の白い息はなんだったのか?!と思うほど日射しも強く
七分袖から出ていた腕は、日に焼けてしまっていた。(後で気づいた。笑)
昼の休憩では、水揚げされたばかりの 鮭やあなご、鰈などを
漁師さんたちの邪魔にならないように見て回った。
水揚げする作業員の中にもどうやらボランティアの人がまじっているようだった。
午後になり、早くも身体が悲鳴をあげた。背中も痛いし、手に力が入らなくなっていたが、師匠の声は俄然大きく 元気いっぱいだった。
屋内の作業もあると勧められたものの、翌日には帰らなければならないワタシは、
体力の温存なんて考えなくても良かったので、当然 そのまま続行することにした。
やがて、まだまだイケると思っていたところへ、終了の号令がかかった。
出来あがった土嚢は、養殖のために使われる。
南三陸の わかめ、ホタテ、牡蠣・・・。
漁師さんは言ってた。いつかまたみなさんに南三陸の魚介を届けるためにがんばります。と。
たった1日の手伝いでエラそうなことは言えないけど、がんばるって言ってくれたのが嬉しかった。
ありがとうって言ってくれて、ワタシもありがとうって思った。
最後に師匠も交えて集合写真を撮った。
作業開始前の説明で、たくさんの人が亡くなってしまったこの場所で
壊れた建物や瓦礫の山など まるで観光気分で写真を撮って行くモラルのかけらもない人がいる。という話を聞いていたので、この集合写真はいいのだろうか?
と、思ってしまった。
でも、みんながひとつの作業を協力し合って行うことに、絆と達成感を感じずにはいられなかったので、この師匠を交えた集合写真はいい思い出になりそうだとも思った。
テント暮らしの長期ボランティアさんたちは、これからつらい季節になるんだろうなぁ。
尾畠さん、どうかお身体に気をつけて。
ぜひボランティアの輪をどんどん広げてください!
3時に国見SAで休憩を取った後の記憶はおぼろげ。
いつのまにか東北道をあとにし、おそらく・・・三陸道を走っていたと思う。
南三陸町まであとわずか。というところの道の駅で、朝食と着替えをする
準備を含む休憩時間になった。
吐く息が白かった。
道すがら、そこここに何があったとか、この7ヶ月間でどうやってここまできたのか、今のこの町を 添乗員は重くなり過ぎないように淡々と説明してくれた。
やがて南三陸町災害ボランティアセンターに到着したのは、受付が始まる少し前で
添乗員は手際良く今日の段取りを説明してくれた。
この添乗員、ただの添乗員ではない。一緒にボランティアにも参加するのだ。
今日は、午前、午後ともに 漁港で土嚢作りをする。という通達だった。
添乗員は苦笑いを浮かべていた。どうやらキツめの作業らしい。
なにしろ土嚢は、ひとつ50kgほどあるという。
どうにも想像がつかないまま、乗ってきたバスで漁港へ移動することになった。
先導する軽トラックには、3月の終わりから活動しているというベテランボランティアの、後に「師匠」と呼ばせていただいた 赤い作業着のおっちゃんがいた。
土嚢作りの作業は、添乗員の苦笑いを忘れるほど やりがいのあるものだった。
土嚢の中身は砂利だった。基本3人組みになり、ふたりが砂利を入れ
ひとりは巾着状の袋を持って支えた。
砂利は、玉砂利が適しているのだそうだが、量が足りず 砕石も使っている。
砕石の場合、埃が多く舞うのでマスクは必需品だ。
適度な量が入ったところで、巾着の口をしぼる。ひとつ結んでさらにもう一回。
最後に紐の先を結んで、フォークリフトのフォークの先っちょにひっかけて運ぶ。
港のところどころに こうした土嚢が積まれていった。
師匠はスコップの差し方から、砂利のすくい方、土嚢袋の受け入れ角度、ひもの縛り方、きつく縛るコツなど、事細かに かつ とてもわかりやすく指導してくれた。
日々、ワタシのような初心者のボランティアも訪れる中で、
気の利いたジョークを交えながら、それはそれは元気いっぱいだった。
休憩も充分に取ってくれるので、体力に自信がなかったワタシでも全く問題なかった。
そして、明け方の白い息はなんだったのか?!と思うほど日射しも強く
七分袖から出ていた腕は、日に焼けてしまっていた。(後で気づいた。笑)
昼の休憩では、水揚げされたばかりの 鮭やあなご、鰈などを
漁師さんたちの邪魔にならないように見て回った。
水揚げする作業員の中にもどうやらボランティアの人がまじっているようだった。
午後になり、早くも身体が悲鳴をあげた。背中も痛いし、手に力が入らなくなっていたが、師匠の声は俄然大きく 元気いっぱいだった。
屋内の作業もあると勧められたものの、翌日には帰らなければならないワタシは、
体力の温存なんて考えなくても良かったので、当然 そのまま続行することにした。
やがて、まだまだイケると思っていたところへ、終了の号令がかかった。
出来あがった土嚢は、養殖のために使われる。
南三陸の わかめ、ホタテ、牡蠣・・・。
漁師さんは言ってた。いつかまたみなさんに南三陸の魚介を届けるためにがんばります。と。
たった1日の手伝いでエラそうなことは言えないけど、がんばるって言ってくれたのが嬉しかった。
ありがとうって言ってくれて、ワタシもありがとうって思った。
最後に師匠も交えて集合写真を撮った。
作業開始前の説明で、たくさんの人が亡くなってしまったこの場所で
壊れた建物や瓦礫の山など まるで観光気分で写真を撮って行くモラルのかけらもない人がいる。という話を聞いていたので、この集合写真はいいのだろうか?
と、思ってしまった。
でも、みんながひとつの作業を協力し合って行うことに、絆と達成感を感じずにはいられなかったので、この師匠を交えた集合写真はいい思い出になりそうだとも思った。
テント暮らしの長期ボランティアさんたちは、これからつらい季節になるんだろうなぁ。
尾畠さん、どうかお身体に気をつけて。
ぜひボランティアの輪をどんどん広げてください!