再出発の誓い
2012年3月12日 in my mind昨日は書けなかった震災の話。
一年前のワタシは、いわゆる帰宅難民者だった。
同僚の車で送ってもらい、深夜とはいえどうにか帰宅できた。
リビングでうたた寝をしながら
足留めをくらって知らない街で夜を明かした相方の帰りを待っていた。
震災の全貌は夜明けとともに、徐々に明るみになっていった。
地震には慣れっこの日本人にも、この規模ともなると動揺と混乱を隠せなかった。
実際、東北沿岸には恐ろしい津波が襲いかかり、福島の原発では起きてはならないことが起きようとしていた。
テレビは尚も余震を知らせる字幕が流れ、各地の惨状を映し出していた。
帰宅難民も非日常なことではあったけれど、命も生活も脅かされることはなかった。
ワタシの3.11は、メディアが寸断された当日よりも、翌朝の方がはるかに記憶に残る愕然とした一日だった。
人は助け合うことができる。
ワタシはきっと誰かの助けになれると思う。
例えほんのわずかな力だとしても、それはただ
あの日のこととあの日の人々を忘れずにいるだけでもいいんだと思う。
人々が、街が、再出発をかけている。
一年という 今までで大きな節目の今、また心に誓う。
一年前のワタシは、いわゆる帰宅難民者だった。
同僚の車で送ってもらい、深夜とはいえどうにか帰宅できた。
リビングでうたた寝をしながら
足留めをくらって知らない街で夜を明かした相方の帰りを待っていた。
震災の全貌は夜明けとともに、徐々に明るみになっていった。
地震には慣れっこの日本人にも、この規模ともなると動揺と混乱を隠せなかった。
実際、東北沿岸には恐ろしい津波が襲いかかり、福島の原発では起きてはならないことが起きようとしていた。
テレビは尚も余震を知らせる字幕が流れ、各地の惨状を映し出していた。
帰宅難民も非日常なことではあったけれど、命も生活も脅かされることはなかった。
ワタシの3.11は、メディアが寸断された当日よりも、翌朝の方がはるかに記憶に残る愕然とした一日だった。
人は助け合うことができる。
ワタシはきっと誰かの助けになれると思う。
例えほんのわずかな力だとしても、それはただ
あの日のこととあの日の人々を忘れずにいるだけでもいいんだと思う。
人々が、街が、再出発をかけている。
一年という 今までで大きな節目の今、また心に誓う。
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