ママさんと呼んでいた伯母のはなし
2018年9月13日 in my mindワタシは父の兄たちが両隣に住む、少しだけ特殊な環境で育った。
幼なじみは従兄弟たちだ。
特に年の近い従姉の両親は、本来ならば伯父伯母なのだが
「パパ」「ママ」と呼ばせていただいていた。
ちなみに自分の両親は「お父さん」「お母さん」である。
小学生の頃は帰宅と同時に近隣の原っぱで、日が暮れるまで泥んこになって、
独自のごっこ遊びを繰り広げていた。
思い起こせば当時の親たちの年頃・・・いや、それ以上になっている。
そんな従兄弟たちがまた集結した。
ママさんが闘病の末に逝ってしまった。10日未明のことだったそうだ。
初夏の頃、従姉にこの夏越えられないかも知れないと聞いて
8月の従姉の誕生日の折りに、久しぶりに隣の家にあがりこんだ。
ケーキはいろんな成分が使われていて気になったので、スイカを丸ごと持って行った。
リビングでたわいもない話をして、いつものようにじゃあね~と おいとました。
その後の話で、ママさんが「ワタシも食べれる!」と言って一番喜んでいたと聞き、
いつも計画倒れしてしまうワタシだけれど、行動を起こして本当に良かったと思った。
ただただ寂しい。
明るくて元気いっぱいのお洒落が大好きなママさん。
裏口から「いる~?」という大きな声と同時にガラッと扉が開いて、
手には漬け物が入ったビニル とか、おかずのお裾分け とか 果物だったり。
時にはテレビを見ているのかおおはしゃぎしている声が隣の家から漏れ聞こえるのも
ママさんの声。
思い出すと懐かしくて思わず顔がほころぶんだけど、なぜか涙が出ちゃう。
幼なじみは従兄弟たちだ。
特に年の近い従姉の両親は、本来ならば伯父伯母なのだが
「パパ」「ママ」と呼ばせていただいていた。
ちなみに自分の両親は「お父さん」「お母さん」である。
小学生の頃は帰宅と同時に近隣の原っぱで、日が暮れるまで泥んこになって、
独自のごっこ遊びを繰り広げていた。
思い起こせば当時の親たちの年頃・・・いや、それ以上になっている。
そんな従兄弟たちがまた集結した。
ママさんが闘病の末に逝ってしまった。10日未明のことだったそうだ。
初夏の頃、従姉にこの夏越えられないかも知れないと聞いて
8月の従姉の誕生日の折りに、久しぶりに隣の家にあがりこんだ。
ケーキはいろんな成分が使われていて気になったので、スイカを丸ごと持って行った。
リビングでたわいもない話をして、いつものようにじゃあね~と おいとました。
その後の話で、ママさんが「ワタシも食べれる!」と言って一番喜んでいたと聞き、
いつも計画倒れしてしまうワタシだけれど、行動を起こして本当に良かったと思った。
ただただ寂しい。
明るくて元気いっぱいのお洒落が大好きなママさん。
裏口から「いる~?」という大きな声と同時にガラッと扉が開いて、
手には漬け物が入ったビニル とか、おかずのお裾分け とか 果物だったり。
時にはテレビを見ているのかおおはしゃぎしている声が隣の家から漏れ聞こえるのも
ママさんの声。
思い出すと懐かしくて思わず顔がほころぶんだけど、なぜか涙が出ちゃう。
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